16-01-28 : となりの弁護士「経済至上主義のドグマ~司法の限界に挑戦する」(弁護士 原 和良)

1 昨年12月22日、東京高等裁判所は、国立市(原告側)が同市前市長であった上原公子氏(被告側)に対する、マンション建設損害賠償請求訴訟により市が被った損害について求償する裁判で、国立市の上原氏に対する3200万円あまりの請求を認める判決を下した。

この事件は、国立駅の駅前に景観を壊してしまう高層マンション建設計画に対し、反対住民運動と連携して、当時の上原市長がその建設を阻止しようとして市として動いたことが、建設会社に対する営業妨害行為であるとして、損害賠償請求が認められ、国立市が賠償義務を果たしたため、市が被った損害を、住民訴訟により上原氏個人に求償を求めた裁判である。

一審の東京地方裁判所判決では、求償権を放棄する市議会の議決がありその議決の再議もせずに求償を市が請求すること、建設会社は損害賠償相当額を市へ寄附していることで市の財政に実害がないこと、等を理由として、市の求償権行使は、信義則に反し許されないとして国立市の上原氏に対する請求を棄却したが、東京高裁は、これと180度反対の判断を行った。

2 法律的な争点はたくさんあるが、司法において、常に問題になるのは、お金に換算できない利益を司法がどう救済するのかという点である。

街の景観や文化財、平穏な住環境などは、資本主義的な経済論理からするとお金に換算できない価値であり、具体的な個別の規制法での規制がない限り、法律的な保護が及びにくい。上原氏の挑戦は、街の景観にその独自の価値を認めその保護のために、住民らと協力して地方自治体の長として徹底した抗戦を行った行為である。

地方自治法は、住民監査請求と住民訴訟の規定を設け、住民が首長の行った違法な行政行為に対して、その違法支出を首長個人に返還請求できる制度を整備している。この制度自体は、住民自治に合致する制度として評価できるものであるが、しかし、上原氏の行った対応は、まさに住民自治を具現化した市長としての対応だと評価できるのではないか。

その意味で、市の求償権請求を信義則違反だとして退けた一審判決こそが大義を有する司法判断だといえよう。

3 同様の司法の壁は、自然環境、コミュニティ破壊、健康不安などの分野にも存在する。福島の原発事故による放射能被害は、未だ解決のめどすら立っていない。政府は、南相馬市に20ミリシーベルト(年間)の緩やかな除染基準で帰還を認める方針を打ち出した。同時にこれまでの避難者への補償は打ち切られ、住民は、健康不安を抱えながら帰還するか経済的困窮の中で避難を継続するかの究極の選択を迫られる。浪江町津島地区は、未だ除染計画もなく450世帯の住民は、郷里に帰るメドもなく避難生活を続けている。ふるさとと失ったコミュニティは、お金に換算できないものである。だからといって、被害は救済れてなくてよいのか?

当事務所は、司法の先例をにらみながら、司法の限界に挑戦する法律事務所であり続けたい。

以 上

(弁護士原 和良「となりの弁護士」「オフィス・サポートNEWS」 2016年1月号掲載)

Menu