12-10-31 : となりの弁護士「本当に強い国(社会)とは?」(弁護士原 和良)

1 日中、日韓で領土問題が今ホットな話題となり、国の威信、国益が大きく取りざたされている。
そして、このような「国難?」に対処するため、強いリーダーシップを待望する「世論」が意図的に醸成されているようにも思える。自民党は、安倍晋三氏が再び総裁となり政権の奪還を目指す。他方で、中央政党、既成政党批判を繰り返す大阪橋下徹市長も国政への影響力強化を目指している。安倍氏も、橋下氏も、アプローチは違うが、今の日本国憲法を改正し、国の形を大きく変更したいという点では共通点を持っている。
2 しかし、最初に確認しておかなければならないのは、憲法を議論するとき、憲法に拘束されるのは果たして誰なのか、ということである。まじめに勉強した法律家の間では、憲法は強力なリーダーシップを権力者のために授権するために存在するのではなく、権力者が図に乗って国民を弾圧したり、間違った政策を行わないように手かせ足かせをはめるために存在するということは、異論がない。
3 日本に限らず近代憲法は、個人の尊厳と幸福追求の権利を保障するために存在する(13条)。個人が尊重されるために、権力が個人の自由に過度に介入してこないようになるべく権力の行使をやりにくく制度設計されている。三権分立も地方自治制度も、選挙権と選挙制度も権力がなるべく集中しないよう行使しにくいようわざわざ作られているのである。その憲法を権力者が遵守することによりはじめて、法律による国民への権力行使が正当化されるのである。
また、憲法は、刑事手続きにおいて権力に異論を唱えるものを受容し、権力が間違いを犯さないようチェックするため、被告人に弁護人選任権(37条、34条)を与えていることも、懐の深さを感じさせる。
アメリカ建国の立役者であり、独立宣言を起草した第三代目大統領トーマス・ジェファーソンの名言に、「私は政治信条の違い、宗教の違い、思想の違いで、友達をなくしたことは一度もない。」という言葉がある。政治信条や宗教や、思想の違いは国家・社会の言わば当然の前提とされるべきことであって、このような立場を貫きつつ進むべき道を切り拓く人物こそが民主主義社会のリーダーにふさわしい資質と言えるのではなかろうか。
4 このようにあえて、権力を使いづらく設計しているのは、人は一時の時代の雰囲気に流されやすい弱い存在であり、権力はそのために情報を操作するものである、という歴史の教訓に導かれた人類の知恵に由来する。効率的でないことは、憲法の強みであって弱みではない。
5 先行き不透明な時代にあって、強いリーダーがほしいという願望は人情であろう。しかしリーダーに頼りすぎることはかえって危険である。それは自分はどうあるべきかを棚に上げて思考停止することになる危険すらある。
一人一人が自分を大事にし、自分のリーダーとなったとき、自分と同じように他人の人権や異論にも寛容になれる。それが本当に強い国家であり、社会であろう。

以 上
(弁護士原 和良「となりの弁護士」「オフィス・サポートNEWS」 2012年10月号掲載)

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