14-11-01 : 法律コラム第7回「最高裁マタハラ判決の波紋」(弁護士 原 和良)

1 さる10月23日、最高裁判所第一小法廷は、マタニティハラスメント(マタハラ)に関する、原審破棄差し戻しの判決を下し、大きな話題となっている。

この事件は、広島にある病院で副主任の職位にあった理学療法士が、労働基準法65条3項に基づく妊娠中の軽易な業務への転換に際して副主任を免ぜられ、その後育児休業の終了後も副主任に任せられなかったことから、使用者である病院に対して、雇用機会均等法9条3項違反として、降格の無効、管理職手当の支払い及び損害賠償を求めた事案である。

*雇用機会均等法第9条3項

 事業主は、その雇用する女性労働者が妊娠したこと、出産したこと、労働基準法(昭和22年法律第49号)65第1項の規定による休業を請求し、又は同項若しくは同条第2項の規定による休業をしたことその他の妊娠又は出産に関する事由であつて厚生労働省令で定めるものを理由として、当該女性労働者に対して解雇その他不利益な取扱いをしてはならない。

 

女性は、一度やむなく副主任を免ぜられることを承諾した経緯があるようであるが、育児休業終了後も降格が継続するとは予期しておらず、本件提訴に踏み切った。

一審及び控訴審では、本件措置が、女性の同意を得た上で、病院の人事配置上の必要性に基づいてその裁量権の範囲内で行われたものであり、裁量権の逸脱はなく、均等法9条3項に違反しない、として女性の訴えを退けていた。

2 これに対して、最高裁は、均等法の趣旨に照らして、女性労働者につき妊娠中の軽易業務への転換を契機として降格させる事業主の措置は、当該労働者につき自由な意思に基づいて降格を承諾したものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するとき、又は事業主において降格措置の必要性があり、その業務上の必要性の内容や程度及び上記の有利又は不利な影響の内容や程度に照らして法の趣旨に反しないものと認められる特段の事情が存在するとき、にはじめて有効となるという極めて、厳密な解釈を行い、本件については、女性の自由な意思に基づいた承諾がない、降格措置の必要性の内容や程度、病院における業務上の負担の軽減の内容や程度を基礎付ける事情の有無など特段の事情も明らかにされていないとして、審理不尽とした。

3 この判決は、かつて労働相時代に、雇用機会均等法の制定作業に関わった櫻井龍子裁判長が裁判長を務めており、自ら行政官として携わった法の解釈に判断を加えた点でも注目されているが、原審判決を5人の全裁判官が、一致して違法と断罪した点において、日本の労働の在り方に対する最高裁のメッセージ性を読み取ることができる。少なくとも、これまでの最高裁の各種の労働事件判決に比較すると画期的な判決であると言ってよいだろう。

(なお、第一小法廷には私も代理人として関わる、とある時代の流れを問う事件が係属していることもあり、最高裁が時代感覚を機敏に反映しまた先取りする判断をすることを期待する一人である)。

4 さて、この判決は、日本の企業運営にはどのような影響をもたらすであろうか。

すでに、本判決を受けて、様々なコメントが法曹界や経済界・労働界から出されている。妊娠・出産・育児・介護を理由とした不利益扱いは原則として違法という流れが定着していくことは間違いないであろう。しかし、私は、今回の判決がそれにとどまらない大きな意味を持っていると感じている。

すなわち、妊娠・出産・育児・介護は、人類として避けることのできない大事な生物上の又社会上の必要活動であるにも関わらず、資本の論理、とりわけROE(自己資本利益率:どれだけ短期的に利益を上げられるかという企業業績を図る指標)至上主義の価値観・経済観は、長時間かつ低価格での労働力という観点のみからの短期的な労働力評価に毒されてきた。

このような、観点からの一面的な価値観自身を、持続する社会、持続する会社という価値観へパラダイムシフトしなければ、世の中の流れを変えることはできないであろう。

そして、このような価値観の転換は、女性問題のみならず、障害者、性的マイノリティ、外国人など、少数者・弱者の受容の問題でもあり、日本社会が不得意とするダイバーシティ化という歴史の課題の克服の問題でもあろう。

5 本件判決は、第一義的には、経営者に対して対策と価値観の転換を求めるものであるが、それは、日本文化・企業文化の転換という意味において、働く者(労働者)も含めた働き方、生き方の見直しにも問題を提起するものであろう。

すなわち、自分よりも短時間で働く仲間、病気や障害のため「非効率」な働きをする仲間、日本文化・常識になじまない仲間について、長期的な視点で、ひいては世代を超えた視点で、助け合い、補い合い働くことについて、これを受容する価値観を、経営者のみならずそこで働く労働者も是とする文化が醸成されなければ、仲間通しの足の引っ張り合いが生じてしまう。

大変、奥の深いかつ一足飛びには実現できないテーマである。

6  コラムニストのマツコ・デラックスが、本件判決についていみじくもコメントしていたとおり、真の男女共同参画は、男性基準社会に女性を合わせることではない。

違う者を受容し、共存し、共栄していくという、新しい価値観を創造すること、であると私は思う。

以 上

(文責 弁護士 原 和良)

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