14-06-01 : 法律コラム第2回「司法は生きていた」(弁護士片岡 勇)

1 著名な裁判の結果を報道するニュース番組などで,傍聴席に入れずに外で待っている人達の前に走ってきた若い弁護士が,「勝訴」とか「不当判決」と書いた垂れ幕を掲げるシーンを見たことがあると思います(これを業界用語で「旗だし」といいます)。

2014年5月21日,福井地方裁判所は,関西電力の大飯原発3,4号機の運転差し止めを命じる判決を言い渡しました。この日,掲げられた「旗」の1枚に書かれていたのが,「司法は生きていた」でした。この判決については,新聞等で要旨をご覧になった方も多いと思いますが,簡単に紹介してみます。

 

まず,「ひとたび深刻な事故が起これば多くの人の生命、身体やその生活基盤に重大な被害を及ぼす事業に関わる組織には、その被害の大きさ、程度に応じた安全性と高度の信頼性が求められて然るべきである。このことは、当然の社会的要請であるとともに、生存を基礎とする人格権が公法、私法を問わず、すべての法分野において、最高の価値を持つとされている以上、本件訴訟においてもよって立つべき解釈上の指針である」として,私たちの生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に具体的な侵害のおそれがあるときは,人格権そのものに基づいて侵害行為の差し止めを請求できるとしました。

そして,「原子力発電所に求められるべき安全性、信頼性は極めて高度なものでなければならず、万一の場合にも放射性物質の危険から国民を守るべく万全の措置がとられなければならない。」「施設の損傷に結びつき得る地震が起きた場合、速やかに運転を停止し、運転停止後も電気を利用して水によって核燃料を冷却し続け、万が一に異常が発生したときも放射性物質が発電所敷地外部に漏れ出すことのないようにしなければならず、この止める、冷やす、閉じ込めるという要請はこの3つがそろって初めて原子力発電所の安全性が保たれることとなる。」と安全性についての認識を示しました。

その上で,関西電力が問題ないという700ガルを下回る地震であっても,施設損壊の危険性があり,冷却機能が失われ大事故が起こり得るし,また,使用済み核燃料を閉じ込めておく堅固な設備はなく,閉じ込めるという構造にも欠陥があるとし,そして,「国民の生存を基礎とする人格権を放射性物質の危険から守るという観点からみると、本件原発に係る安全技術及び設備は、万全ではないのではないかという疑いが残るというにとどまらず、むしろ、確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立ち得る脆弱なものであると認めざるを得ない。」と大飯原発の安全性に重大な問題があるとして,原発の運転差し止めを認めました。

最後に,「コストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。」

と関西電力のコスト論を一蹴し,判決文としては極めて踏みこんだ説示をしました。

 

この判決に対しては,原子力学会から,「ゼロリスクを求める考え方は,科学技術に対する裁判所の判断としては不適切である。いかなる科学・技術も人間や環境に対してリスクをもたらすが、科学技術によってリスクを十分に低減させた上で、その恩恵とのバランスで社会はそのリスクを受容するべきだ」等という批判も出ています。しかし,福島原発事故によって発生した莫大な被害や将来の健康被害への不安等を考えれば,こうした意見に首肯することは出来ないでしょう。

従来の原発差し止め訴訟は,住民側に高度に科学的専門的な立証責任を負担させ,現状追認の判断をしてきました。しかし,本判決においては,福島原発事故によって明らかになった原発の危険性と大規模事故があった場合の莫大な被害が生じることを踏まえて,大飯原発においてもそのような事態を招く具体的危険性が万が一にもあるのかどうかを判断対象として,差し止めの基準を大きく下げたことに特徴があります。福島原発事故により,安全神話が完全に崩れ去った今,普通の人が普通に考えれば,当然に本判決の考え方になるのではないかと思います。まさに,「司法は生きていた」というべき画期的な判決です。

 

 

2 福井地裁判決の翌週,私が弁護団に加入している,福島原発事故によって避難を余儀されなくなった方達が,東京電力と国を相手に損害賠償請求を行う集団訴訟の口頭弁論期日が開かれました。この裁判では,被害の実態や避難の苦労といった当事者の生の声を伝えるために,毎回,原告(避難者)本人の方に,意見陳述という形で,法廷でお話しをして貰っています。

今回は,事故当時生後10か月の娘さんを連れて避難した女性が,「・皆で避難しようと準備していたけれど,やはり家から離れたくないという高齢の祖父母,そんな祖父母を置いていけないという両親を前にして,避難するかどうか立ちすくんでいた時,『お母さんたちは大丈夫。親は子供を守らなきゃいけないの。だから,早く行きなさい』と母が後押ししてくれたこと。 ・それでも避難する車の中で,自分達は親を捨ててしまったのではないか,本当にこれで良かったのかと夫婦手を取り合って泣いたこと ・仕事の関係で夫が福島に戻らざるを得なくなり,パパと一緒に暮らせない娘,娘の成長を見守れない夫,家族離れ離れで生活することの辛さ」等々を,切々とそして堂々と自らの思いを自分の言葉で語ってくれました。

そして,最後に,「私たちは子どもを守りたい,ただそれだけなんです。今の私たちの願いは,健康に娘が成長し,結婚して,安心して出産できることです。娘のことを考えたとき,私たちには避難する道しかなかったのです。」「みなさんには,お子さんやお孫さんはいらっしゃいますか? 自分の子や孫を放射能に汚染された環境に住まわせたいと思いますか? みなさんの心の中に浮かんだ思いが,この裁判の答えにつながると私は信じています。」と,法廷にいる全ての人に対して問いかけました。

私は,事前に原稿を読んでいたけれども,法廷内で目頭が熱くなり涙腺が決壊寸前でした。彼女の意見陳述が終わると,傍聴席から,大きな拍手が湧き上がりました。裁判所のローカルルールでは,傍聴席で拍手をしたり発言をしたりすることは禁止されており,そのようなことがあると裁判長が「静粛に!」などと言って注意することが通常です。しかし,今回は,裁判官も何も言いませんでした。淡々と聞いている様子ではありましたが,きっと,裁判官の胸にも彼女の言葉が大きく響いたのだと思います。

裁判なので,東京電力が津波によって過酷事故に至る危険を認識していたのか,国が福島第1原発の設置許可を行ったことや安全性確保のために規制権限を行使しなかったことについて法的責任があるのか,事故と相当因果関係がる損害はどこまでなのか等が法律上の主要な争点となり,当事者が,膨大な準備書面と証拠によって,主張・立証を繰り広げることになります。でも,本当に重要なのは,裁判官をはじめ当事者全員が,市民としての感覚・常識を大事にして,被害者の被害の実情と心情に素直にそして真摯に耳を傾け,胸に刻んでいくことだと思います。当たり前のことではありますが,これらの裁判を通じてあらためて気づかされました。

以 上

(文責 弁護士片岡 勇)

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