14-03-31 : となりの弁護士「資格をとると貧乏になる」(弁護士原 和良)

1 日本語のニュアンスというものは、おもしろいもので、法律「家」というと格調が高いが、「法律屋」というとどこか卑しくて下品な感じがする。政治「家」→政治「屋」もそうである。そうはいっても、八百屋は八百屋であって、あまり八百家とはよばないのであるが、資格に基づく専門家に限って考えると、「家」とつくと、一定のステイタスと品格が感じられるのである。
2 最近「資格を取ると貧乏になります」(「新潮新書」 佐藤留美著)という弁護士や税理士などの士業資格の現状をレポートしたショッキングな本が話題になっている。資格は、足の裏についたご飯粒みたいなもの。すなわち、取らないと食えないが、取っても食えない。なるほど。
3 先日、ある若手弁護士から、仕事がない。どうやったら仕事がくるのか、という相談を受けた。
どんな仕事も、人のため(抽象化すれば社会のため)に役にたってその結果として報酬をもらう、というのが仕事の仕組み。「働く」とは、傍(ハタ)を楽(ラク)にする、ことだと昔から言われる。
士業はとりわけそうである。われわれの周りには、困っている人、困っていることで溢れている。困っている人(こと)に、自分がやれることは何か、を考え、行動することがまずは大事である。
周りの困っていることは何も法律問題とは限らない。単なる愚痴かもしれない。それだったらただ聞いてあげるだけでも役に立つかも知れない。おいしいレストランを探していれば、調べて教えてあげることだって役に立つかも知れない。税金で困っていれば知り合いの頼りになる税理士さんを紹介してあげればよい。そんな、ハタをラクにする中で、ひょっとしたら10人に1人くらいは、弁護士の専門知識と技術を必要とする人はいるものである。法律以外のことで、お役に立てた9人の人から感謝され、その周りで弁護士を探している友人がいたら、あなたのことをきっと紹介してくれるだろう。
種まきをせずに、作物が実るなんてことはこの自然界にはありえない。いい事件だけが自分にくることを期待するのは、種まきもせずに、作物の実るのを待つようなものである。
4 もっとも、人には人それぞれの個性があり、また役割がある。資格制度は、商売のうまいへたに関わらず、世の中に必要とされる業務について、国家がその実力を認めたのであるから、後は自由競争で勝ち残れというのは行き過ぎであろう。資格の暴落は、社会的に必要とされる法律「家」をますます少なくし、利益ばかりに走る法律「屋」をはびこらせるだけではないか、最近の司法改革の現状を見ていてつくづく危惧するところである。

以 上

(弁護士原 和良「となりの弁護士」「オフィス・サポートNEWS」 2014年3月号掲載)

Menu