1 私の元所属事務所(東京法律事務所)の後輩でもある大森顕弁護士監修の小説「痴漢を弁護する理由」が2022年9月に日本評論社から出版され、このたび拝読しました(https://www.nippyo.co.jp/shop/book/8876.html)。大森弁護士は、司法研修所の刑事弁護教官も務められました。
私自身も若い頃は、痴漢えん罪事件に取り組んできたので、その現場のリアルさがひしひしと伝わる小説となっていることに臨場感を持って二話を読むことができました。
2 第一話は、いわゆる痴漢に間違われた被告人に関する「ちかん冤罪」がテーマです。周防正行監督の映画「それでもボクはやっていない」の世界です。
この小説の中で、主人公の新橋将男弁護士(仮名)はこう心情を吐露しています。「この国の制度は明らかに間違っている。明らかに歪んでいる。しかし、弁護人がぶつかり続ければ変わらないはずがない。いや、変わろうと変わるまいと、ぶつかり続けなければならない。それができるのは、弁護人しかいないからだ。大林さんにはできない。その家族にもできない。弁護人である僕にしかできないことだ。」
この言葉に、弁護士と著者らの矜持が表現されていると思いました。
3 第二話は、本当に痴漢をやってしまった人が、性的依存症であることがわかり、妻や娘の援助を受けながら治療に取り組む物語です。真犯人でも弁護士は弁護する価値がある、ということを一般の人にもわかりやすく語り掛ける話です。
この第二話の中で、印象的な叙述がありました。
「また、弁護士業務の根っこにあるのは人間関係であり、クライアントをはじめとする周囲の人間や相手方、どのような人とも、しっかりコミュニケーションを取っていくことが何より肝要だ。‥」「一番大きなストレスになるのは、あまり相性の良くないクライアントの代理人を務める民事事件や家事事件で、主張の指し手を間違えた時だ。‥‥事件も、代理人である自分の精神的にも、尋常ではないダメージを被る。その後、この経緯をクライアントに報告するときが一番つらい。クライアントが自分に不利なことを隠していたり、あいまいにしか話してくれなかった場合はクライアント側にも原因があるのだが、しっかりとコミュニケーションを怠り、全ての聞き取りを行っていなかったのなら僕が悪い。」
このくだりは、刑事事件を超えて、弁護士として未だにそのような反省の日々を送っている私にとって、大変共感できるものでした。
事務所を維持し、家族を養うために弁護士は稼がなければなりません。しかし、稼ぐことは手段であって、手段よりも大事なミッション・誇りをもって仕事をしています。少なくとも自分はそうありたいと常々考えていますし、同じ思いを持った若手弁護士が育っていることにとても感動を覚えた小説でした。
ぜひ法律家以外のみなさんにも一読をお勧めしますし、私も若手弁護士に紹介したいと思います。
以上