25-10-31 : となりの弁護士「思い通りにいかないとき」(弁護士 原 和良)

1 我々の人生は、仕事も私生活もうまくいってばかりではない。時には、絶体絶命のピンチが何度も訪れるし、出口が見えなくてどん底に突き落とされた気分になることもしばしばある。
  人間は、自分の予測したあるいは望むイメージを持って仕事や物事に取り組むが、しかしそれはあくまでも人間の頭の中でイメージした世界である。現実にはそれとはまったく違う事態が発生したり、予想もつかなかった事態に陥ったりするものである(職業柄言えることは、外から見ると順風満帆ですべてが思い通りにうまくいっているように見える人でも、内実は誰にも言えない深刻な悩みを抱えているということはよくあることである。他人の苦労は、外からはなかなか見えないものである)。
  ある意味それが人生なのかもしれない。

2 よくよく考えると、私たちの周囲で起きている事象は、すべて無色あるいは中立的なものである。人間は、それに色を付け、意味づけをして理解していく。
  色を付けるのは私たち人間、個々人である。だから百人いれば百通りの色の付け方がある。起きている事柄は中立的であるのに、それに良いこと、悪いこと、と意味づけをして私たちは生活を送っている。
3 うまくいかないときは、なぜ自分だけがこんなに苦労しなければならないのかと沈むこともある。困難にぶつかった時、その変化を不幸と考えるのか、それをチャンスと捉え新たな解決方法を見出そうと努力するのか、その人の態度が問われる。
  マイナスに見える、ピンチと見える事態に遭遇して自暴自棄になるのか、それを飛躍のチャンスととらえて辛抱強く打開のために努力するのか、それによって次に起きる事態は変化するのである。

4 水は高いところから低いところに流れる、リンゴは木から下に落ちる…これは、自然科学の法則である。
  私たちの周りには、ともすると水が逆流したり、リンゴが重力に逆らって飛ぶかのような不条理や理不尽に遭遇する。しかし、不合理なことは決して長続きしない。それは時間とともに自然法則に従って解決の方向に向かう。
  国内外の情勢を見ても、私たちが身を置く司法界や裁判所の現状を見ても不合理・不条理で腹の立つことの多い今日ではあるが、辛抱強くその不合理を乗り越えていたいものである。

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