昨年暮、NHKが「映像の20世紀」というドキュメント番組を再放送した。
思わず画面に引き込まれてしまったその映像と、現代社会には恐ろしいほどの共通性があった。ユダヤ人虐殺、パレスチナ、ベトナム難民、ポルポト虐殺。虐殺と難民の苦難は、今のアフガン問題、イラク問題と本質は何も変わっていない。テロップを入れ替えればどこの民族の受難も全く同じ光景で区別がつかない。受難の民と子ども達の目は、皆同じように自分の運命を恨むしかないのかと訴えるかのようによどんだ眼光を放っていた。
歴史は繰り返すという。大国は自国の利益のために小国に「正義」の旗を掲げて侵略する。国民は、リアルタイムではそれが不法な侵略であることに気付かず、多くの場合、自国の「正義」の戦争を歓喜して支持する。時を経てそれが、実はつくられた正義だったことを理解する。人類という動物の知能は、半世紀たっても何も進歩していないのかと、実感させられる番組だった。
年末で40歳になったばかりの私は、安保闘争も知らないし、ベトナム戦争については小学生時代にベトナム和平の報道を見た記憶がかすかにあるだけ。正月に子どもたちとスキーを楽しんでいる自分の存在の一方で、イラクやアフガンにたまたま生を受けた人間の苦渋・悲運を考えたとき、時間と空間の中での偶然の存在を感じたのである。
だからといって、何ができるというわけではないが、歴史の中に自分がいるということを忘れずに、歴史に堪えうる仕事を今年もやっていきたいと思う。
(弁護士原 和良「ひとこと言わせて頂けば」2004.1掲載)