痴漢冤罪と日本の刑事司法の問題点を描き出した周防正行監督の「それでもボクはやっていない」という映画が話題になっている。
私も、この数年間でいくつかの痴漢冤罪事件を弁護し、その中で周防氏と知り合う機会を得た。映画の作成過程では、私自身も取材を受け、クランクイン直前の昨年3月に、西武新宿線の冤罪事件(通称:丸山事件)では、一審有罪の判決を覆し、東京高等裁判所で逆転無罪の判決を得て、周防氏と一緒に喜びあうことができた。丸山事件では、印刷会社に勤務する妻子ある40代のまじめなサラリーマンが、電車内で女子高校生の下着の中に手を入れて陰部を触ったとして、強制わいせつ罪に問われた。本人は、警察署で罪を否認したため、逮捕・勾留、起訴され裁判を闘うことになった。
保釈が許可されたのは、逮捕日から105日目、被害者の尋問が終わった後のことだった。妻は、体調を崩して重度のうつ病となり、被告人は収入の道を絶たれて生活保護を受給しながらの裁判となった。権力に人生をもて遊ばれた丸山さんが払った代償はあまりにも大きい。しかし、あきらめずにたたかい抜いた丸山さんは、泣き寝入りするよりもはるかに大きな何かを自ら掴みとり、また社会に残したことも事実だ。このような名もなき英雄たちがいなければ、この映画もできなかっただろう。
“疑わしきは罰せず”というのが、刑事司法の大原則である。たとえそれで真犯人が罪を免れることになっても、無実の人が間違って処罰されることの方が問題だ、というのがその理由である。しかし、実際の裁判実務は、“疑わしきは処罰する”が原則となり、いったん犯人として疑われた以上、疑われた者が自分の無実を曇りなく証明しなければ無罪とはならないというおかしな結果になっている。
私たちは、日常的には警察は味方、検察官・裁判官そしてマスコミは常に正しいと思っている。90%はそうなのかもしれない。新聞やテレビで凶悪事件が報道されると、無前提に報道事実=真実、と思い込まされている(納豆事件は氷山の一角である)。
しかし、時々、常識を疑って見ることも大切だ。100人中99人の考えることが正しいとは限らない。ガリレオ・ガリレイしかり、歴史上の偉大な発見や発明は、99%の人が疑いもしなかったことを疑うことから生まれている。自分の仕事でぶつかっている壁も、常識やマンネリの壁を自分自身が越えられないところにあることが案外多いのである。
以 上
(弁護士原 和良「となりの弁護士」2007.2掲載)