5月28日は、子どもの小学校の運動会だった。都内の小学校では公立でも最近運動会などの学校行事を秋から春に移行する学校が多い。中学校受験者が増えているため、秋は運動会どころではないのである(受験に無関心の我が家にはあまり関係ないのだが)。
おもしろいのは、競技種目だ。競技を見ながら、これからの世界経済と民族文化の関係を考えてみた。世界を席巻しているグローバリズム経済は、紛れもないアングロサクソンの文化である。個人主義・自由主義・市場主義に至上価値が置かれ、弱肉強食が正当化される。この価値観はスポーツにも反映し、アメリカの競技文化は、団体スポーツも含め、個人として速いもの優れたものが賞賛されるのが特徴だ。
他方、日本では、徒競走と並んで組み体操や騎馬戦、玉入れ、つなひきなどの団体競技が盛り上がる。赤組と白組に分かれてあんなに盛り上がる国民性にいつも感心してしまう。小学校最後の運動会となった6年生の一糸乱れぬ組み体操、とりわけフィナーレの人間ピラミッドに親たちは目を潤ませ、どの親もデジカメのファインダーにわが子を映し出し、思い出を記録する。「やっぱ日本人だねぇ」と感じる一瞬だ。
おそらく、このような団体競技は、欧米にはない農耕民族である日本(あるいはアジアの一部)特有の文化であろう。組み体操の文化は、日本の高度経済成長を支えた文化的背景だったのだ。プロジェクトXのテーマ曲「地上の星」(曲・詩「中島みゆき」)が日本文化にはよく似合う。
ちなみに、ゲルマンの文化には、徒競走がないそうだ。ドイツの運動会では、そもそも子どもを一列に並べて、足の速さを競わせ人間に序列をつけることは、人間の尊厳を傷つける非人間的な行為だと考えられているようだ。
日本の労働経済に造詣の深いイギリスの社会学者ロナルド・ドーアが、最近「働くということ」という本を出版した(中公新書)。アングロサクソン資本主義の押し付けを批判し、アメリカに追いつけ追い越せの経済史観をマラソン史観と揶揄する。
日本人の血が流れる私も、組み体操に感動した一人として、日本には日本の経済のやり方、働き方、そして社会的連帯があってしかるべきだとつくづく感じたのであった。
以 上
(弁護士原 和良「ひとこと言わせて頂けば」2005.6掲載)