1 この5月に熊本市で全国公害弁護団連絡会議の定時総会が開催され、総会に参加するとともに、翌日の水俣視察ツアーに参加してきた。
公害病の原点と言われる水俣病はイタイイタイ病、新潟水俣病、四日市ぜんそく、と並ぶ四大公害と言われる。チッソの水俣工場から水俣川、水俣湾の内海に有毒なメチル水銀を含む排水が排出され、海の魚介類に蓄積され、これらを食べた周辺住民が、手足のしびれなどの神経症状を発する病気で、公式発見から今年で69年となる。
これまで数々の裁判が提訴され、水俣病特措法などを通じて、約7万人の被害者がこれまでに救済されている。しかし、特措法の救済申請ができなかった者や、そもそも特措法の救済要件から外れた被害者は、救済の枠外とされ現在も訴訟が継続している。
(https://no-more-minamata.jp/topics/detail.php?detail=58)
2 5月18日には、水俣視察ツアーで水俣病慰霊の碑とともに、水俣市立の水俣病資料館を訪れた。来館者へのメッセージは、つぎのような言葉が記されていた。
「水俣病は、環境や命よりも経済的な成長を優先していた、企業、行政、そして人間がおかした大きなあやまちです。水俣病を経験した私たちは、環境を汚染してはならないということと、命や人権の大切さを教訓として学び、この教訓を生かしたまちづくりに取り組んでいます。そして、この地球上で水俣病のような悲惨な公害が再び繰り返されることがないよう、これらの教訓を人類への警鐘として、国内のみならず世界へ、また後世へ伝えていく責任があると考えています。…」
3 このメッセージを読んで、果たして我々の生きる現代社会は、水俣病の被害の教訓を本当に生かしているのだろうか、と思わざるを得なかった。
アメリカの生物ジャーナリストであるレイチェル・カーソン(1907⁻1964)が、「沈黙の春」を発表したのは1962年。同書は、人類が生み出した文明や科学技術が様々な化学薬品を生み出し、目先の便利さや利益に目がくらんだ人類が生態系を破壊し、将来の世代の環境を破壊していることを辛辣に告発した。
昨年5月1日に行われた水俣現地慰霊祭後の環境大臣と被害者らとの懇談会では、③分間の発言時間を超過した被害者発言者のマイクが環境省の担当者により突然オフにされるという許しがたい暴挙が行われた。2011年の福島原発事故の被害者の救済も被害地の復興も未解決である。
学び続けることが重要である。