13-07-31 : となりの弁護士「「私の最高裁判所論」を読んで」(弁護士原 和良)

1 泉徳治元最高裁判事が、この度「私の最高裁判所論」(日本評論社)という本を出版された。私のような市井のマチ弁とは全く異質の世界で仕事をされてきた方であるが、帯に「司法よ、一歩前に出よう。裁判所の背中を押すのは、国民の声である。」とあるように、最高裁判事として、情熱と信念を持たれながらその職責を務められた氏のすぐれた人格が行間から読み取れる。

2 われわれ弁護士にとっても、最高裁というのは「不磨の大殿」である。一般に口頭弁論も開かれないうちに、事務所に帰ると上告棄却決定という紙切れ一枚が届いていることが多く、本当に書面を読んでくれているのであろうかといつも憤懣やるかたない気持ちになることが多かったが、年間6000件もの上告事件を15人の裁判官と38人の調査官(裁判官)で切り盛りしている様子がビジュアルに描かれ、その苦労の一端をかいま見ることができた。グローバル化や迅速な司法を実現するために、氏が、裁判官増員論を一貫して主張されてきた理由がよくわかる。

3 司法の役割

民主主義の過程そのものの瑕疵の是正と少数者の人権の救済にこそ司法の意義があるとする氏の法律家らしい立場から、投票価値の平等、在外日本人の投票権、婚外子の相続分差別、婚外子の日本国籍の取得、外国国籍地方公務員に対する管理職昇任資格などの憲法訴訟に積極的に顔の見える裁判官として判決に関わってこられたことがわかる。また、今年3月の被後見人選挙権制限違憲判決についても、原告代理人の「ほぼ完璧な主張が展開されていた」と絶賛のコメントをなされている。

4 アメリカと比べ顔の見える裁判官が少ない日本。

氏は、はしがきの中で、「およそ一人の人間が、裁判を担当するまで積み重ねてきた人生経験を論理の筋道からすっかり取り除くのは、文字通り不可能である。…裁判官の心といえども、真空で働くわけがない。」というウォーレン判事の回想録を引用されながら、  「法の内容を決定するものは、三段論法ではなく、社会生活上の必要とか公共政策上の利便とかいったものであり、各人が持つ経験に左右されるものだと思います。どの意見が正しく、どの意見が間違いとは言えないと思います。」と語られている。

裁判官と司法への信頼は、無味乾燥な真空の裁判官ではなく、経験と個性豊かな「人間の顔」をした裁判官と司法にある。

以 上

(弁護士原 和良「となりの弁護士」「オフィス・サポートNEWS」 2013年7月号掲載)

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