先月、尊敬する作家の一人小田実さんが亡くなった。日本を代表する「知の巨人」であっただけに非常に残念だ。
高校生の頃、「何でも見てやろう」という小田さんの好奇心あふれる本は、大学で学問を志す私たち若者の心を刺激してくれた。自分の目で見て自分の頭で考える、という態度は、本当の知識人のあり方を教えてくれたし、それは現場主義という私の生き方の指針につながっている。
数年前、そんな小田さんと一緒に仕事をする機会に恵まれた。ある大学の招聘教授として教壇に立たれていた小田さんの「生命倫理」の授業を法律家としてお手伝いするという仕事だった。授業を終えて酒を交わす小田さんは、その眼光厳しい、弁舌鋭い知識人然とした印象と違って、非常に気さくである意味で「いい加減な」ただの街場のおじさんだった。「おれの親父も、終戦後、役所を首になって仕事がなくて弁護士をやってたよ」「お客さんは全然こんかったけどな」と、大阪大空襲の話をする中で話してくれたのが懐かしい。
晩年、大江健三郎氏や鶴見俊輔氏、奥平康弘教授などと一緒に「9条の会」を呼びかけた。若き頃「ベトナムに平和を!市民連合」という独特の市民運動スタイルを提唱した平和主義者の小田さんは、死ぬまで、平和主義者を貫いた。遺作となった「中流の復興」(NHK出版 生活人新書)の中で、小田さんは、戦争の「臭い(におい)」=死体の臭いについて語っている。「テレビドラマやドキュメンタリーフィルムで見る場合、臭いは伝わって来ない。…死体の臭い、これが強烈です。このことはやっぱり戦争について考えるとき、記憶しておかなければならない」。自ら体験した大阪大空襲で感じた死体の臭いは死ぬまで小田さんの脳裏を離れることはなかった。現場から発想する小田さんならではの反戦思想である。
小田さんは、前出の著書で、日本における中流の復興を訴え、格差社会を批判する。戦後日本の成功は、軍需産業に手を出さず、貧しい人もいなければ大金持ちもいない国をつくってきたところに成功の鍵がある、という。それを下支えしたのが社会保障であるという。そして、みんなが飯が食える段階まで世界が豊かになるために日本に何ができるか、これを考えるのが平和憲法を持つ日本がやるべき国際貢献だという。人生の最後まで、経済のあり方や国際貢献のあり方をとことん自分の頭で考え抜く人だった。ご冥福を祈る。
以 上
(弁護士原 和良「となりの弁護士」2007.8掲載)