ある刑事事件の法廷で、被害者供述と被告人供述の信用性をテストするため、心理学者の鑑定尋問を行なった。
人の見る、聴く、嗅ぐ、味わう、触る、という知覚は実にあいまいで誠に主観的なものである。さらに、その体験した記憶は、これまた実にあいまいかつ主観的に記憶される。
人は、見えているものすべてを知覚するのではなく、自分の関心のあるものを関心にそって知覚記憶するのである。
したがって、人の記憶に基づいた証言は、真実の一部を反映していても、それが真実であるとは断定できない。
図の1を見てほしい。読者には何が見えるだろうか?杯に見える人と、キスをしようとしている2人の顔が見える人がいるはずである。杯が見えた人は、人の顔部分は、単なる背景にしか見えない。人の顔に見えた人にとっては、杯は単なる背景である。心理学では、自分の関心ある意味ある部分を図といい、背景を地というのだそうだ。すべて、人が見たものは、このように図と地に分けて知覚される。これを図地分節というのだそうだ。
人が知覚するとき、そこに何らかの意味を見出そうとする。人は意味のない状況に置かれると生きていけない苦痛で不安定な状況に立たされる。出たくもない会議に出席しなければならない状況を想像してほしい。あなたは、席に座って必ず自分にとって意味のあるものに無理やり関心を向けなければ不安でたまらないだろう。その関心は、美人OLの顔に集中することになるかもしれないし、内職に意識が集中するかもしれない。(以下次号)
以 上
(弁護士原 和良「ひとこと言わせて頂けば」2005.10掲載)