24-09-27 : となりの弁護士「最善を尽くすこと」(弁護士 原 和良)

1 先日、こんなことがあった。地方の裁判所で重要な裁判期日があり、新幹線で出張する予定であった。都内の交通機関の乱れのため、このままではWeb上の交通案内では、1分差で新幹線の出発時間にどう転んでも間に合いそうにない。私は、それでも最善を尽くそうと駅に向かった。なんと新幹線発車駅に向かう急行電車の出発時間が遅れていたため、当初の各駅停車ではなく、その電車よりも早く到着する急行電車に乗ることができてWeb上の交通案内の到着時刻よりも早く新幹線発車駅にたどり着くことができ、無事に時間前に裁判所にたどり着くことができた。
  あきらめずに最善の努力をすることは重要であることをこの経験から学んだ。
2 私たち弁護士の受任する事件は、どの事件も結果はどちらに転ぶかわからない事件が多い。見通しが見えない、むしろ敗色濃厚という事件の相談も多い。弁護士の中には、そんな事件は受けないという人も多いし、それは確かに弁護士としては賢い選択だ。
  しかし、相談を受けた事案には、困難だけれども、そこに大義や正義があり、受任して最善を尽くすべきではないか、と悩む事件が少なからずある。
  そのような場合には、依頼者にリスクを説明した上で、事件を受任し弁護士として最善を尽くす、という事案だと考え、結局引き受けてしまうのである。
  引き受けて、私は自分で自分の首を絞めてしまうのだが。
3 その後は、依頼者と一緒にどこかに突破口がないか悪戦苦闘することになるのだが、やっているうちに、突破口が見つかって、Web上の交通案内の予定に反する結果を出せることもあるのが実際だ。
  証拠上は不利な事件では、判決になると全面敗訴は濃厚である。しかし、あまりに道義上許されない不利益を被っている被害者の裁判では、主張立証を尽くし、その事案の本質が裁判所にしっかりと伝わった場合には、裁判所は、それに応えてくれる。
  近時の最高裁旧優生保護法違憲判決や、旧統一教会への献金を無効とした最高裁判決は、ある意味AI判決予測を超えた判断であろう。
  このような判決でなくても、最善を尽くした裁判では、判決では全面敗訴の見込みであっても、裁判所から和解勧告がなされることは少なからずある。
4 弁護士の役割は、今の法律では負け筋であっても、そこに正義が存在する限り最善を尽くし、不利益を受けた弱者や被害者に少しでもたたかってよかったという結果を得ることにあるのであろう。

以上

Menu