1 今後、弁護士は社会でどのような役割を果たしていくべきか、また果たせるのか?弁護士の人数が激増する中で、大きな問題となっています。私は、この問題について調査研究を行うため、戦前からの弁護士の職業史を主に経済面から調べています。
2 戦前の弁護士は、司法界の中でも判事・検事と比べて相対的に地位が低く、また弁護士は検察官や司法省の監督のもとに置かれ、独立した地位を有していませんでした。
これは、明治政府の富国強兵政策が上からの急激な近代化を要求したため、欧米のように市民層が封建的勢力の旧弊を打ち破り自由を獲得していくのに法律家・弁護士の力を必要としたのに対し、日本では帝国大学で要請された官吏が行政官として法律を作り運用する役割を担ったため、民間の弁護士が社会で活躍する条件がなかったということのようです。また、権利という言葉が日本には存在しなかったということからわかるように、個人の人権や権利意識というものが、外国輸入のもので日本の文化に根付かないという特徴もありました。
3 戦後、日本国憲法が制定され、また弁護士には国の監督に服さないという弁護士自治が認められ、その社会的地位は大きく変化をしました。しかし、戦前の特徴(行政主導で社会が動いていく、権利を主張することは和を乱すものであるという国民意識)は、今も日本社会に根強く残っています。
このような中で、増える弁護士人口の下で、訴訟は減少していき、仕事にあふれる弁護士が増えてしまっているというゆゆしき問題に直面しています。
4 故大野正男弁護士(最高裁判事)が、職業としての弁護士を考察する際に、弁護士の経済問題をどのように考えるべきか、大変貴重な示唆を与えています。
「弁護士をプロフェッションとして考える場合、それが一定の経済的条件によって支えられているということである。プロフェッションは、理念として、営業ではなく利益追求を目的とするものではないといわれる。…しかし、現実には、その職業が社会的に有意義であるか否かは、それによって得られる経済的利益を無視して考えることはできない。というより、職業倫理が経済的利益追求をこえて成立するのは、その職業が一定の経済的条件をみたしている場合に限られるのである。」(「職業史としての弁護士及び弁護士団体の歴史」1970年)
5 プロフェッションという場合には、何も弁護士に限られた問題ではありません。他の士業も専門職ですし、保育士や社会福祉士、介護士などとりわけ福祉に携わる専門職は、その過重な労働にも関わらず待遇は極めて貧弱な地位に抑えられています。職業倫理が経済的利益を超えて成立するのはその職業が一定の経済的条件を満たしている場合に限られる、という大野弁護士の指摘は、大変重い意味があります。
以 上