18-08-08 : となりの弁護士「法律家を信じてはいけない」(弁護士 原 和良)

1 7月11日、大津地方裁判所は、1984年に起きた強盗殺人事件で無期懲役となり服役中の2011年に病死した阪原弘元受刑者に対する遺族の再審(裁判のやり直し)を命じる再審開始決定を行った(大津地方検察庁は、7月17日、この決定を不服として即時抗告の申立を行っている)。
この事件の最大の争点は、阪原元受刑者の自白の信用性、殺害方法の合理性にあった。
警察による暴行、家族や親戚への捜査の拡大を示唆しての脅迫的取り調べの中で、阪原氏は、うその自白をするに至る。
また、阪原氏には自宅でお酒を飲んで酔っ払って寝ていたというアリバイがある上、首を絞めて被害者女性を殺害したという自白とひもで首を絞めたとする鑑定結果など客観的な殺害状況にも大きな矛盾があった。

 

2 裁判官とて人間であり神ではない。真実は当事者のみが知ることである。法律家も神ではなく、間違いを犯すことを前提に近代司法制度はできている。憲法の無罪推定の原則、刑事訴訟法の疑わしきは被告人の利益に、という考え方は、間違っても無実の人を処罰してはならない、その結果たとえ真実の犯人が無罪とされることがあっても、無実の人が処罰される(えん罪)よりも大事であるという価値観を基盤としている。

 

3 一般の人から刑事事件を見ると、そこには疑いようのない真実があって、その真実を前提に、処罰の是非、量刑の軽重が議論されるが、実は真実などそう簡単には判明しないものである。それは、例え、私がやりましたという自白があってもである。
しかも、検察官や裁判官や間違うはずがない、という法律家崇拝がこれに輪をかけている。
裁判官は、間違うのである。だから、司法は三審制をとっているのである。また、いったん確定した判決であっても、再審の制度があるのである。

 

4 7月6日には、松本智津夫死刑囚を含む7名の死刑が執行された。松本死刑囚が、霞が関サリン事件をはじめとした大量殺りく事件にどのような関与をしていたのかについては、実は未だに解明されていない。それどころか、犯行に関与した受刑者から、矛盾する証言が出始め、その全容解明が必要だったところ、そのカギを握る井上死刑囚も死刑執行され解明は闇に葬られた形になった。
被害者の気持ちを考えると死刑制度はやむを得ないという意見も多い。しかし、犯人ではない人が処罰されて、それで遺族や被害者の気持ちが慰謝されるのはなんともおかしな話である。
間違いを犯す法律家を信じすぎてはいけないのである。

 

以上

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