21-02-28 : となりの弁護士「森五輪組織委員会会長の辞任」(弁護士 原 和良)

1 女性が多い会議は時間がかかる~オリンピックが掲げる男女平等の理念に正面から反する森喜朗組織委員会会長の発言は、国内外に波紋を呼んだ。当初は謝罪会見でお茶を濁そうとしたものの、批判の強さに耐え切れず、ついに森会長は辞任に追い込まれ、橋本聖子新会長が選出されるに至った。

その過程で、森前会長が水面下で後継者に据えようとした川淵三郎氏への交代劇も、その不透明な選出方法が批判の的となり、成功しなかったのはご承知のとおりである。

 

2 森発言の不適切さについては、様々な方面から批判を浴び、ここでそれを繰り返す必要はないであろう。

それよりも、私が奇異に感じたのは、組織委員会の理事者や評議員会からなぜ真っ先に批判の声が真っ先に出なかったのか、世論の批判の中で、背中を押される形で新会長の選任という経過をたどったことであり、そのことに私はこの問題の根深さを感じざるを得なかった。

それは、ジェンダー格差の問題もさることながら、日本の組織は、影響力・力の強いものに対して忖度し、正面から正論をいうと和を乱す異物とのレッテルを貼られ、陰に陽に様々な不利益を被るという「同調圧力」を背景とした社会構造そのものの問題である。それはジェンダーの以前の問題として、この間の政官財をめぐる不祥事に共通する日本社会の弱点でもある。

 

3 森友学園事件をめぐる財務省の議事録の改ざん問題も、組織ぐるみの改ざんが行われたことは、表に出ている状況証拠からも深く疑念が投げかけられている問題であるが、組織の抵抗にあって真相究明は一向になされないし、関係者は誰も責任をとっていない。赤木さんという改ざんを命令された職員の尊い命が奪われてしまったにもかかわらず、である。

 

4 「余計」な一言、正論をいうと、周囲から煙たがられる。ただでさえ忙しいのに、「余計」な一言、正論を言ったがために、周囲の冷たい目にさらされ、自分が不利益を受ける。

だったらおとなしくしておこうと、おかしいこともおかしいと言わず、じっと心に秘めといて、周囲の空気に合わせてその場を過ごす。

私たちの日常は、だいたいそんなものである。国会も、官僚も、オリンピック組織委員会もそれが、日常となっている。

森辞任劇は、こんな私たちの日常の繰り返しが、結局は社会を閉塞させ、イノベーションを阻害し、気が付くと日本は世界の常識から取り残されるガラパゴスとなってしまっているのではないか、ということを考えさせられる事件であった。

以上

 

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