07-09-01 : となりの弁護士「光市母子殺害事件騒動」(弁護士原 和良)

裁判や調停の待ち時間には、クライアントと世間話になる。最近よく話題に上り意見を聞かれるのが、光市母子殺害事件騒動だ。99年4月に、山口県光市で18歳(当時)の少年が、26歳の主婦と11か月の長女を殺害した事件である。一審、二審は無期懲役。極刑を望む夫の訴えとマスコミを通じた世論の支持の中で最高裁は、「死刑を選択するしかない」として、2審判決を破棄し審理を広島高裁に差し戻した。最高裁の判断は、下級審に事実上の拘束力を有するから、広島高裁では、死刑判決が出ることが予想される。

差戻審の弁護団が、無罪主張をしたことに対し、ワイドショーで某弁護士が弁護団への懲戒請求をサジェスチョンし、以後弁護士会には4千件を超える懲戒請求がなされている。これに対し弁護団は、某弁護士に業務妨害等を理由とした損害賠償請求訴訟を提訴した。

人権国家という以上、刑事被告人にも人権は保障される。憲法では、被告人の権利は保障されているし、判決が確定するまでは被告人は無罪の推定を受ける。刑が確定し罪人と認定されても、制約は受けるとしても人である以上人権は保障されるというのが他人の人権を認めるということである。他人の人権を認めるというのは忍耐のいることだ。

刑事司法は、訴追側の国家に対し、被告人が弁護人の助力を受けながら自分の権利を主張し、防御をつくすことによって真理が発見されるという制度を前提としている。それがえん罪という最悪の間違いを起こさない最良の道だという人類の到達した知恵でもある。

どんなに「人間のクズ」だと見える被告人であっても、言い分を言う権利があり、その制度的な保障が刑事弁護人の制度である。

民主主義の社会は多数派の言い分が通り、世論は、多数派を代弁する。司法は、多数派に流されることなく少数派、異端の人権を保障する制度であることを忘れてはならない。犯罪者は、言い分を言わせもらい初めて、自分に対する処罰を受け入れるのである。多くのえん罪事件は、孤立した被告人と冷たい目で見られる弁護人の血のにじむ努力によってその多くは勝ち取られているのが現実だ。

人はいつ自分が、孤立した立場に立たされるかも知れない。光市事件の人民裁判騒動は、結局刑事被告人の人権保障をはじめ、人権保障を自ら否定する結果になっているのではないだろうか。

以 上

(弁護士原 和良「となりの弁護士」2007.9掲載)

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