1 大阪市を5つの行政区に統合再編し、大阪都とする都構想を決める住民投票が、5月17日に行われた。賛成69万4844票(49.62%)反対70万5585票(50.38%)という結果で、僅差で反対票が上回り、橋下市長の願いは叶わなかった。
歴史に“もしも”はないのであるが、天候はじめ様々な条件が変わっていたらこの僅差での反対派勝利は、逆転していたかも知れない。
2 この結果については、すでにマスコミや識者の論評がたくさん出ている。アエラに掲載された、内田樹の論評(本来地方自治は、その権限を強化することに意義があるのに、その自治体の長が、自分の権限を弱めようと住民投票に打って出て、その投票の半数あまりがそれに賛同するという不思議な現象に対する違和感)は、特に優れたものだと思った。
3 大阪市民にとっては人ごとではないのはもちろんであるが、これは日本国民にとっても本当は人ごとではない問題である。それは、プロ野球の巨人・阪神戦で、僅差でどちらかが勝った負けたというのとは意味が違う。
また、この結果をどう見るかは、マスコミや識者が決める問題ではない。一人一人の国民が、どう意味づけるのかが重要である。なぜなら、この結果が、今後の日本の将来に大きな意味を有すると考えるからであり、どう意味づけるかが日本の進路を決める決定的な鍵を握ると考えられるからである。
4 今回の住民投票は、近い将来に来るであろう憲法改正国民投票の予行練習という位置付けをもっていたと言われる。
近代国家においては、人は一私人であると同時に一公人(国民、選挙民)としての資格と責務を付与されている。近代憲法と民主市議の基本思想は、“治者と被治者の同一性”=今の権力者が考え実行している政策は、国民(少なくともその多数)が賛同し希望している政策、という前提で成り立っている。しかし、今の日本が果たしてその基本理念に適合するのかどうか、かなりあやしい。
近い将来、公人である国民が、その総意で、日本を再び戦争ができる国にした、と海外で論評される日が来るかも知れない。しかし、それは、決して一部の国を除いて世界は歓迎しない事態であろう。
これから数年間は、日本の歴史にとってとっても重要な数年間になるのかも知れない。
以 上
(弁護士原 和良「となりの弁護士」「オフィス・サポートNEWS」 2015年5月号掲載)