10-07-27 : となりの弁護士「えん罪はなぜ起きるのか~」(弁護士原 和良)

1 ある顧問先で「冤罪はなぜ起きるのか?」というテーマで講演を依頼された。
裁判員制度がはじまり刑事司法に対するマスコミ報道も増えたことで裁判に対する関心も広がっているようだ。他方、足利事件のような冤罪事件の報道も関心を引く一つの契機になっている。
2 私も、細々とであるが刑事えん罪事件に関わっている。えん罪が起きる原因の一つは自白偏重と人質司法の在り方である。裁判員制度導入後もこの捜査手法は変わっていない。もう一つは無罪推定の原則からはずれた裁判。裁判は無罪を証明する場ではない。真実は神のみぞ知る。有罪が証拠により証明できているかが判断対象であり、迷ったら証明がないのだから無罪である。真実と合致しているかと考えたら冤罪を生む。人はなぜかんたんにうその自白をするのか、と思うだろう。しかし、身柄を拘束され、連日「犯人はお前しかいない。」「家族はお前を信じていない。」と言われれば、楽になりたいと人間はかんたんにやっていない罪を認めてしまう。いったん認めれば鬼であった捜査官は、とたんに優しくなり、事件を語るのにいくらでも協力してくれる。体験してなくても、客観的証拠に合致する供述をすることはそんなに難しくないのである。演劇の文化が発達したのはこのようななりきる能力が人間に備わっているからである。こうして記憶は体験と離れて作られていく。
3 我々は様々な情報から必要な情報、有利な情報を選択しリスクを回避する。すべてを調べつくして正否、善悪をすべて自分で判断することは不可能でありそんなことをすれば精神が異常をきたすことは間違いない。多勢に従うか信頼のおける隣人のアドバイスに根拠なく従うのが利口な生き方である。しかし、人生の岐路に立ったときの選択はむしろ「疑わしきは被告人の利益に」の思考が大事だ。もしかしたら自分の認識に間違いがあるのかもしれない、相手の真意は違うところにあったのかも知れない、憤慨している自分に本当は相手が憤慨しているかもしれない、と考えることは意外とトラブル解決に有効だ。一人一人が分断されてタメのない社会になっている。自分の中にタメをつくることが幸せに生きる鍵である。
*足利事件[あしかがじけん]とは、1990年5月12日、日本栃木県足利市にあるパチンコ店の駐車場から女児(4歳)が行方不明になり、翌朝、近くの渡良瀬川の河川敷で遺体となって発見された事件。犯人とされて服役[無期懲役]していた菅家利和(すがや としかず、1946年10月11日生まれ)氏と、遺留物のDNA型が一致しないことが2009年5月の再鑑定により判明し、冤罪であったことが発覚。菅家氏は、17年ぶりに釈放され、その後の再審で無罪が確定した。

以 上

(弁護士原 和良「となりの弁護士」「オフィス・サポートNEWS」 2010年7月号掲載)

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