1 最大多数の最大幸福。18世紀に功利主義を説いたイギリスの経済学者・哲学者であるジェレミー・ベンサムの考え方は、概ね現代社会でも所与の前提として受け入れられている支配的な考え方だ。多数の人間に効用(利益)をもたらすことが、社会全体、世の中全体の幸福につながる、という考え方である。
しかし、このような多数派優先思想には、そこから排除され軽視される少数者の人権が見逃されがちである
2 10年ほど前、マイケル・サンデルの「これから『正義』の話をしよう」という本とNHKの討論番組が話題になった。サンデル教授は、本の中で暴走する路面電車の例を挙げる。ブレーキが利かなくなった路面電車は、線路の分岐点の右路線に5人の作業員がおり、左路線には1人の作業員がいる。左路線にハンドルを切れば、5人が助かるが、左路線にいる1人は死んでしまう。左路線にハンドルを切ることは果たして正義なのか?
また、難破した船の4人の乗組員の行動を例に挙げる。海に漂流を続ける4人の船乗りの中で、一人の若い乗組員が体力を消耗し瀕死の状況となる。残り3名の乗組員は、生き延びるために死にかけた若い乗組員を殺して食べてしまった。彼らは、殺人罪として処罰されるべきか否か。これは実際にイギリスで起きた事件のようである。
3 今、新型コロナの蔓延の中で、ワクチン接種の是非が議論になっている。もちろんコロナウィルス陰謀論や、ワクチン陰謀論などに与するつもりは毛頭ないが、ワクチン接種により、日本でも数百人の死亡が確認されている。接種と死亡との因果関係を証明することは極めて難しい。
ワクチン接種により、多数が助かる、人類が延命するのは確かであろう。その意味ではワクチン接種は、ベンサム流にいえば、最大多数の最大幸福の施策であり、「正義」である。そのために、不幸にも多少のワクチン接種被害者が出るのは仕方がない、と考えるのである。
同じことは、感染拡大を阻止するために、飲食業や観光業が犠牲になるのは、多くの国民が助かるために必要な犠牲であるというのも同じ思考に基づいている。
4 果たしてそうだろうか。犠牲になる少数者や一部産業は、運命として受け入れなさいでは何とも割り切れない。
少なくとも、社会の一部に犠牲が発生するのであれば、その犠牲の代償は、社会的に完全に補償されるべきであり、その責務をわが政府は追うべきである。
正義とは何とも難しくて悩ましいものである。
以上