18-06-13 : となりの弁護士「お金で買えないものの尊さ」(弁護士 原 和良)

1 5月20日、日本ペンクラブ主催の第34回「平和の日」集いに主催者として参加してきた。浅田次郎氏の基調講演の後、吉岡忍さん、落合恵子さん、金平茂紀さん、ドリアン助川さんらとともに沖縄を代表する文筆家らとのシンポジウムがもたれた。
前日には、辺野古基地建設予定地を訪れ、基地建設に反対する人々と交流することができた。
私は、福島県浪江町津島地区(帰還困難区域)の約700名の原発被害者の集団訴訟に関わっている。
今回の訪沖と福島の現状をみてある共通の思いをいだいた。

 

2 それは、人間が尊厳をもって生きていくためには、自然と人間の共生、人間のコミュニティ、独自の文化、伝統芸能など、目には見えない大事なものが必要だということだ。
これらの個人の個性を形作り、個人と切り離せない外との関係性は、そもそもお金では代替できないプライスレスの価値である。津島の被害者がいう「ふるさと喪失」とその被害は、冷たい行政と東京電力の対応にさらされている。また、司法の場でのその思いの実現は未だなされていない。

 

3 近代社会、資本主義は、経済合理性という価値観を最優先として成長してきた。経済合理性や経済成長が達成されることこそが、人類が豊かになりそして幸せになるものとの神話に支えられていた。
しかし、今、本当に経済合理性は合理的なのか、経済成長が人を幸福にするのか、という問いに私たちは向き合うべき時期に来ている。
イギリスの哲学者ベンサムは、功利主義を唱え、「最大多数の最大幸福」という考え方を示し世に大きな影響を与えた。その理論には、その結果少数の不幸が生じるのは不可避であるという前提に成り立っている。しかし、現在の社会の行き詰まりは、表では「最大多数の最大幸福」と言いながら、日に日に「少数者のための最大幸福、多数者のための最大不幸」をもたらしているのではないか、と思わざるを得ない。

 

4 金銭価値のあることが、人の幸福をもたらすのか。
沖縄は、中国、台湾、韓国をはじめ東南アジア各国からの観光客でごった返していた。その美しい島に、日本の基地の70%がひしめき、陸はもちろんのこと海も空も他国に占領されているのは何とも言えないパラドックスだ。
基地の移設を認めれば、国から経済振興の予算がつく。これは、お金で、自然と人間の共生、人間のコミュニティ、独自の文化、伝統芸能、そしてそこに住む人々の尊厳を傷つけることに他ならない。
私たちは、お金の奴隷にならないで豊かなリレーションをどうつくるかを考えるべき時期に来ている。

以上

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