04-07-01 : ひとこと言わせて頂けば「エリート教育」(弁護士原 和良) 

めったなことでは負けない辣腕弁護士の私が、手を焼いている離婚事件がある。平成13年に、当時5歳の息子を連れて実家に帰ってしまい、その後息子との面会を拒否し続けた夫を相手にした離婚、親権者の指定をめぐる紛争である(実家に帰ってしまったのは母親ではなく父親であるというめずらしい事件である)。

 夫は、教育者の家に生まれたおぼっちゃま(父は中学校の校長先生)。夫自身が子どもじみていて、とても子育てができるような人物ではない。保守的な夫の実家は、看護婦として「子育ても仕事も」とがんばる妻(わが依頼者)にはなじめなかったようだ。
面接交渉調停で面会権を確保したが、親権者の指定で折り合いがつかず離婚調停は不調。訴訟を起こし、判決となった。相手方が、父親(おじいちゃん)の源泉徴収票を証拠として提出し、一戸建ての実家と息子のための勉強部屋の写真を提出した。小学校に上がった息子は、英会話、スイミング、ピアノと毎日のようにお稽古ごとに忙しい。面倒はすべておばあちゃんがみているようだ。
こちらは、母親としての当方の見識、愛情、息子にかかわってきた実績などを示して、親権者として適任であることを主張した。夫側が提出したものなどは、教育環境でも何でもない(こんな風に育てたからこんな息子になったことに、祖父母は全く気付いていない)。父親としての資格・資質があるかが争点のはずだ。だから、私も依頼者も、当然勝つものだと安心していた。しかし、結果は父親を親権者とする不当判決。連れ去られて時間が経ったので、環境を変えるのは息子がかわいそうだ、という理由だ。
何故こんな判決に?最大の原因は、裁判官自身が教育や子育てに勘違いをしていることだ。裁判官も実は、エリート教育で育てられ教育とは何か、子育てとは何かわかっていない人種だったのだ。事件はその後、控訴審裁判官の強い和解勧告もあって、面接交渉権を十分に確保するかわりに親権は父親に譲った。しかし父親は、和解条項も守らず相も変わらず面接交渉を拒絶しているため、現在親権者変更の調停中である。
裁判官が、見識ある人格者だと思うのは間違いである。ご用心を。

(弁護士原 和良「ひとこと言わせて頂けば」2004.7掲載)

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