12-08-31 : となりの弁護士「タイで感じたこと~日本人であること、国際連帯とは」(弁護士原 和良)

1 この7月、タイで初めての在タイ日本人向けの法律年金セミナーを開催した。タイに進出する企業をサポートする弁護士はいるだろうが、そのタイまで出かけていってそこで働く日本人の生活をサポートするという企画はおそらくはじめてであろう。
日本とタイは、古くから経済的交流が盛んで、現在、バンコク周辺だけでも登録在住者は約5万人、日本とタイを往復しながら長期滞在をしている人を含めると10万人の日本人が生活している。また、海外資本の約80%を日本が占めており、今後の日本経済の発展にとって重要な親日国である。
2 企業の海外進出に際して、企業は合弁会社の設立や契約締結、知的財産権の保護など、様々な分野で法律専門家のサポートを必要とする。半面、その進出に携わる生身の人のサポートはある意味おざなりになっていた。幹部管理職として、海外に数年間赴任するとなれば、現地での生活はもちろんのこと、個人として抱える法的トラブルについては、会社にいえない悩みを抱えている(日本にいる親の介護や相続問題、離婚や子どもの教育、いじめ問題など)。とりわけ最近は、数年で日本に戻れるケースは少なく、東南アジア地域を数年ごとに赴任する方も増えているという。
今回は、このような問題意識で、バンコク現地に在住する企業家、駐在員とその家族、リタイヤして永住している方々を集めて、モニター的なセミナーを開催した。人数は、20人弱ではあったが、予想通り、大きな反響があり、近いうちに更に規模を大きくして第2回のセミナーを開催することになった。
3 今回セミナーに同行した弁護士が、夕刻、バンコクの繁華街でスリ被害に遭うという事件が発生した。某弁護士の財布にはお金と一緒にクレジットカードなど十枚ほどのカードが入っており、バンコクの喫茶店で、われわれは手分けして各カード会社に連絡を入れるはめになった。しかし、既に営業時間外でもあり、またフリーダイヤルの番号には海外からはなかなかカード会社につながらない。やっとも思いですべてのカード利用を停止できたのは、事件発覚後数時間経ったときで、すでに、携帯電話の電池もほぼなくなっていた。
その後、タイの警察に被害届の申告にいくが、警察官に、日本語はもちろん、英語が通じない。たまたま、別のスリ被害にあって警察署を訪れていたタイ人女性の二人組美女が英語の通訳を買って出てくれて、無事被害届が受理された。我々が夕食にありつけたのは、既に日付が変わった後であったが、乾杯のビールが言葉にできないほど、おいしかったこと。
翌日は日本大使館へ報告と相談。その後、タイ語で書かれた被害届の写しをもって、二人組タイ女性の友人がいる翻訳事務所を訪問し、英訳をお願いしたところ、いたく同情され、「この事件でタイという国を嫌いにならないでくださいね。」と言われ、料金の受け取りを拒否された。
この被害事件を通じて、タイ人のこころのやさしさを肌で感じることができ、ますますタイという国を好きなったのである。
もし、日本で外国人が困っていたら、果たして我々は同じように手をさしのべることができるであろうか?
国際連帯とか、国際友好とか、それは実はもっと足下からそして今から誰でもできることだということに気がつかされたエピソードである。
4 もう一つ、タイで発見したのは日本のよさ、日本人の強みである。
日本は、島国で内向きで必死さがない、とよく言われる。中国や韓国は、国家ぐるみで国際化、海外進出を進めエリートたちが、パワフルに海外で活躍している。ある意味、その指摘はその通りで、もはや国内だけにとどまっている時代ではないし、どんどん外気に触れて刺激を受けるべきだと私も思う。
しかし、日本人の繊細さと機微、やさしさと繊細さは、タイ人から見ると一緒にいて居心地のよさ、安心感、ホスピタリティを感じる、ということを幾人ものタイ人や在タイの経営者たちから異口同音に聞かされた。大戸屋はじめ日本料理店が大盛況なのも、がんばった自分や家族へのご褒美として、日本の「おもてなし」を受けたいという思いが強いのだという。
そうであるとすれば、日本のこれからの生きていく道は、単に日本の心を捨てて海外標準に合わせるのではなく、日本らしさを強みに、文化の交流・合流を目指すことなのではないだろうか。
以 上
(弁護士原 和良「となりの弁護士」「オフィス・サポートNEWS」 2012年8月号掲載)

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