22-07-28 : となりの弁護士「福島第一原発事故をめぐる2つの判決の意味」(弁護士 原 和良)

1 2022年6月17日、最高裁判所第2小法廷は、福島第一原発の放射能汚染事故の、被害者住民らが起こした4つの裁判(福島生業裁判、群馬県避難者裁判、千葉避難者裁判、愛媛避難者裁判)について国の東京電力に対する行政上の規制権限の不行使について、国には責任がないとする判決を下した。
 最高裁判所のホームページに掲載されている判決文を見ると、判決理由は、正味たったの5頁(4500字前後)、これに対して三浦守裁判官は、国の責任を認めるべきであるという反対意見を約30頁(2万8000字前後)にわたって述べている

 

2 最高裁判所には15名の最高裁裁判官がおり、3つの小法廷でそれぞれ5人の裁判官が割り振られている。判決は多数決で下されるが、各小法廷の裁判長は、他の裁判官が可否同数である場合以外は判決に加わらない。
 今回の判決は、3:1で国の責任を否定する意見が多数を占めたため、結局4名の裁判官が判決に加わった形だ。

 

3 2019年の司法統計では、最高裁の上告事件の終結数(解決数)は、3819件であり、15人の裁判官で割ると一人あたり255件前後の判断をしていることになる。
 気の遠くなるような話だが、最高裁判所には、調査官という若手・中堅の裁判官が40人ほど配置されており、その調査官が裁判記録を精査し、事件の争点・判例の状況等を整理した上で、最高裁裁判官に調査報告をする。最高裁裁判官は、それをもとに判断を下すのである。
 わずか5頁しかない多数意見は、おそらく国の責任を否定する理由が調査官の報告を読んでもどこにも見つからないため、苦肉の策で理由を考えたのではないか、という疑念をぬぐい切れない。国に責任ありというきわめて説得力のある反対意見を書いた三浦裁判官の精緻な文章を読むと、一層その思いを強くする。

 

4 東京電力の旧役員4人に13兆円の損害賠償責任を認めた東京地裁株主代表訴訟
 他方、7月13日、東京地方裁判所は、東京電力の旧役員ら(事故当時)4名に対して合計13兆円の賠償責任を認めた(朝倉佳秀裁判長)。
 最高裁のふがいなさ、忖度判決に絶望感すら感じた被害者らにとって、朝倉判決は、起死回生の目の覚めるような判決であった。
 被告は、国と東京電力と違うが、一番の争点は、いずれも大地震による閾値を超える津波が当時までの研究で予測できたのか、また予測できたとしたら事故を回避するための措置がとれたのか、という点であり、朝倉判決や最高裁三浦反対意見が、詳細緻密な分析で東電求役員、国の過失責任を論証したのに対し、最高裁の多数意見は「ダメなものはダメ」式で責任を否定したのである。

 

5 最高裁で国の責任が認められようと認められまいと、賠償額そのものに影響があるものではない(原子力賠償法では、原子力事業者に対して無過失責任を定めており、賠償金を払い過ぎているという東京電力の上告受理申立は門前払いとなっている)。
 他方、東京地裁の13兆円の賠償命令については、回収不能な高額賠償で意味はないのではとの批判もある。
 しかし、いずれも違うと思う。人間は、過去に起きた記憶を忘れる動物である。首都東京も含め日本が消滅してもおかしくなかった大惨事が福島第一原発事故であった。二度とこのような事故を繰り返してはならい、と世界中が思ったはずだ。しかし、その悲劇は忘れ去られなかったものとして封印され、原発再稼働の議論が盛んとなっている。
 最高裁の判断は、この動きを後押しするものであり、東京地裁の賠償命令は事故の原因究明に光を当て忘れ去ることに対して警鐘を鳴らすものである。
 朝倉裁判長は、法廷で7か月かけて書いた判決書であると述べた。最高裁で覆された地方裁判所、高等裁判所の国の責任を認める裁判官たちも、同じように休日を返上して判決書を書いたに違いない。最高裁判所の判決は、「良心のみに拘束さる」はずの裁判官の気概と誇りを傷つけるものであり、朝倉裁判官の判決は、多くの裁判官たちを励ますものであったと思う。

以上

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