24-02-28 : となりの弁護士「駅のトイレで考えたこと」(弁護士 原 和良)

1 汚い話で恐縮である。食事中の方は読まなくて結構。人間、朝食をとると便をもよおす。少なくとも私はそうだし、多くの方はそうであろう。これが、出勤前の自宅で事足りればよいが、通勤途中で便をもよおすことが時々ある。
  その時には、駅のトイレに駆け込む。同じような人が世の中にはいるようで、駅のトイレの大便スペースはすべて満室なことが多い。
  しかたなく、列に並んで自分の番を待つことになる。早くしろ!この待つ時間が何とも長く感じるものである。
 

2 待っている間、松下幸之助の「時を待つ心」というエッセイが頭をよぎる。
  「何ごとをなすにも時というものがある。時―それは人間の力を超えた、目に見えない大自然の力である。いかに望もうと、春が来なければ桜は咲かぬ。いかにあせろうと、時期が来なければ事は成就せぬ。冬が来れば春は近い。桜は静かにその春を待つ。それはまさに、大自然の恵みを心から信じきった姿といえよう。」
  自分の番が回ってきて、無事用を足した後に、目の前の自分の人生の苦難を乗り越えたことで、幸之助の言葉をかみしめる。
 

3 人生には、予想もしなかった苦難や逆境が訪れる。いや、予想通りに進む人生など本来ありえないし、生きるとは予想しなかったことが連続して起きることそのものであり、それが死ぬまで続くということである。
  その時に苦難や逆境にどう向き合うのかが、それぞれの人に問われる。
 

4 時を待つという「忍耐」は、生きていく上で大切なことだと思う。苦難や逆境は、避けようとしても不可避的に自分に降りかかってくるものだ。
  その時に、自分の力では変えられないものは受け入れる勇気が要求される。変えられないものはどんなに泣き叫んでも、わめいても変えられないのだ。
  その上で、自分が変えられるものは何かを見極め、変えられるものに自分の努力を集中する。そんな努力をしていると、いつか時は味方をしてくれる。イメージした理想の結果とはならなくとも、大抵は「どん底」からは抜け出して、「あの時は大変だった」と振り返ることができる。そうやって、人はみな生きている。
 

5 言葉を変えれば、生きるということ、そして幸福というものは、ある達成された結果ではない。結果や目標を目指して懸命に生きるプロセスそのものが人生であり、人はそのプロセスに幸福を見出すものだ。
  アメリカの最高裁判事であったホームズ裁判官はこういう「この世で重要なことは、自分が”どこ”にいるかではなく”どの方向”に向かっているかだ」

 

以上

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