10-05-27 : となりの弁護士「できそこない」(弁護士原 和良)

1 人間は、そもそも「できそこない」である。どんなにりっぱに見える人物でも、何か足りないところ、弱点はある。何も悩みがないという人はいない。
弁護士は、トラブルを抱えた人を相手に仕事をする。離婚、相続、交通事故などによる家族の死、会社倒産や自己破産など人生の深刻な悩みを背負って依頼人は事務所に来る。その多くの人々は精神的に打ちひしがれ、実際精神的に病んでいる人も相当数に上る。依頼人はすべて「自分はこの世で一番不幸な人間」である。「一番不幸な人間」を励まし立ち直らせるサポートが弁護士の仕事である。
2 依頼人には二つのタイプがあって、立ち直るために弁護士の言うことをよく聞き、必要な資料や準備をきちっとやってくれるタイプが一つ。このタイプの依頼人とは、事件の処理もテンポよく進み、効率的に事件解決が図られていく。
もうひとつは、決めたことがなかなか守れないタイプ。打ち合わせでは調子のいいようなことを言いながら、自分のことなのに何も準備しない。時には三カ月、半年と連絡も取れない。悪気がないのかもしれないが費用も払わない。こんなタイプの依頼人を持つと自分は誰のために苦労しているのかと考えてしまうのである。
病院でいえば、アルコールがやめられないアルコール依存症の患者タイプである。
3 世の中は常識で動く。我々も常識に沿って事件を処理する。だがしかし、常識の通じない人の中にこそ目を見張る快挙を成し遂げる人がいるのも事実である。
そんなの無理だ、破産した方がよい、とアドバイスした人が、弁護士の助言も聞き入れず、あるいは聞いたふりをしてアドバイスに従わず、さんざん事務所に迷惑をかけながら結果的に事業に成功し億の借金を完済したりするのを見ると、人生は自分の常識だけで判断してはいけないのだとつくづく反省させられる。
4 ということで、私は、手を焼くたくさんのできそこない依頼人(患者)を抱えているのだが、「あいつは気が狂っている」「できっこない」と揶揄されながらも、世の中の常識に反して生きていく「できそこない」に何とも愛着を感じてしまう。こんな非常識な人々がいるからこそ、これまでの常識を打ち破る新しい考えや事業ができていくのだろうと思う。人間誰でも困難にぶつかり人生を投げ出したくなることもあるが、そう考えると、「できそこない」にも生きている十分な意味があるのである。私もできそこないだが、できそこないのあなたも十分この世の中に生きている意味があるのだ。

以 上

(弁護士原 和良「となりの弁護士」「オフィス・サポートNEWS」 2010年5月号掲載)

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