23-08-30 : となりの弁護士「法的拘束力」(弁護士 原 和良)

1 今月(8月)4日、我が国の人権侵害の状況を調査していた国連人権理事会「ビジネスと人権」作業部会は、ジャニーズの故喜多川氏からの性被害に関し、数百人が性的搾取と虐待に巻き込まれる憂慮すべき疑惑が明らかになった、と指摘し深刻な人権侵害を報告した。
  同部会は、日本政府に対し、政府が主な義務を担う主体として、透明な捜査を確保し、謝罪であれ金銭的な補償であれ、被害者の実効的救済を確保する必要があると勧告した。

 

2 この報道を受けた松野官房長官は、個別の事業者における事案については、当該事業者において適切に対応されるべきものと考える、と述べ、政府の責任に関しては、「作業部会の見解は国連としての見解ではなく、我が国に対して法的拘束力を有するものではない」と指摘している。
  この見解は、今や世界の企業活動において、コンセンサスとなっているビジネスと人権の考え方を理解しない、日本の時代遅れの感覚を如実に表したものといえよう。

 

3 法律にさえ抵触しなければ、もっといえば犯罪にさえならなければ、どんなことをしてでも儲かればよい、お気の毒だが自己責任だ、という発想そのものだ。
  かつて、過酷な児童労働で生産された原材料を使い、チョコレートやサッカーボール、安価な衣料品などを、生産販売するグローバル企業が不買運動等の批判・抗議を受け、現在では企業の生産活動は、直接の契約関係のあるなしにかかわらず企業内外のフェアな取引で生産されるべきとの考え方が国際社会に広がっている。これが、現在のSDGsの考え方にも発展し引き継がれているのである。

 

4 他方で、日本では、まだまだ法的には問題はない、法的拘束力はない、が様々な場面でまかり通っている。元請と下請けの関係、欠陥商品と消費者被害、建築瑕疵問題、など本来企業の道義的責任として救済されなければならない事件において、「法的義務」がないために泣き寝入りを強いられるケースは枚挙にいとまがない。法律は万能ではないのである。

 

5 法的責任と言えば、昨年6月17日、最高裁判所は、福島第一原発事故の被害について、国には責任はない、という不当判決を下した。対策を取っていても防げない事故であったから国には責任がないという判決理由は、最初に結論ありきで真剣に事故の責任と再発防止を思考する姿勢は全くない。法的拘束力はない、の一言で思考停止する文化、そしてそれを許してしまう文化を変え、法的拘束力のあるなしに関わらず再発防止に全力で対処する文化を作らなければならない。

 

以上

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