19-11-28 : となりの弁護士「働く意味~自分に合った仕事なんて探すな」(弁護士 原 和良)

1 以前、養老孟司さんが、「自分に合った仕事なんて探すな」という自分探しをする若者へのメッセージが話題になった。(デイリー新潮 2018年6月22日掲載

仕事というのは、社会に空いた穴であり。ともかく目の前の穴を埋める、それが仕事というものであって、自分に合った仕事などいくら探しても見つかりっこないのだという。
そして、自分自身人の命を救いたくて医学を目指したので、自分がやってきた仕事は、生きた人間ではなくて死体解剖ばかり。おかげで医療過誤は起こさなかったし、遺族に責められることもなかった。自分が全く想定していなかった分野での仕事であったが、振り返ってみるとそこで人間として得るものはたくさんあったという。

 

2 弁護士の仕事も似たようなところがある。最近は、どろどろした人間相手の一般民事事件や刑事事件よりも、「スマート」な企業法務が若手弁護士には、好まれる傾向がある。中には、契約書の作成・チェックがやりたい、という変わった弁護士もいたりする。私にとってはクリエイティブな部分が少なく退屈で一番不得手な仕事である。
しかし、企業法務という法律は存在しない。企業も組織もすべて生身の人が作っている。人間関係も複雑でどの組織にも例外なく権力闘争や力関係というものがあり、決して企業の事件はスマートでもなんでもないのである。やはり、企業が相手の仕事でも、人の心理に対する洞察力や弁護士としての技術力・人間力は不可欠なのである。

 

3 法律事務所には、例えていうと瀕死の重傷患者が前触れもなく相談に訪れる。弁護士にとっては、目の前の重症患者が社会の穴ということになる。とにかく、うまくいくかどうかを考える暇もなくとにかく助けるために知恵を絞って取り組むしかない。
はっきり言って、小さなミスは不可避であり日常茶飯事であるが、ボロボロになりながらも目の前のクライアントのために全力を尽くす。えてして、そのような急患患者は、あまりお金に余裕のない人の方が多いが、単にお金で仕事を選別するわけにもいかない。
一難去るとまた一難。弁護士の仕事はその繰り返しである。
うまくいなかいことも多いが、時々、ツボにはまって大勝利したり、絶体絶命の事件で大逆転をすると、働いたなという充実感があるものである。

 

 

以上

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